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ヘンプ教室

2009年08月27日 12:21

ヘンプ教室
毎月第3日曜日は、コーヒーを飲みながら、おしゃべりしながら楽しくヘンプ教室を開催しています。
初心者の方向けの教室なので、お気軽におこしください☆ 

日にち :  毎月第3日曜日。
時間  :  午前10時~12時
参加費 :  1回 1500円 (ワンドリンク付き♪)
      
※材料費は別途になります。¥100~¥500が目安です。

作品1
石を包んだネックレスが作ったり♪

作品2
オリジナルの可愛いブレスレットも作れます☆

参加ご希望の方は、こちらのブログの→ http://myxx11.blog122.fc2.com/
右下にあるメールフォームより
『お名前』『電話番号』『人数』をご連絡ください~ お待ちしています^^
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『真珠の道』(20)

2009年01月19日 15:58

5月4日

カストロフェリッツは2kmの細長い街。
古城の遺跡のある山のふもとに三本の筋のように道が伸びている。
街の入り口のマリア教会のすぐお向かいにカフェがあった。ホステルでもある。タクシーはそこで止まった。
心地良い部屋で久しぶりの個室か!と喜んだが甘い。すぐ後に来たドイツ人が相部屋を望んだので、
そのほうが安くもなるのでOKした。ブリギッテという気さくな人。

2km先の街の端っこにある教会でホステルのオーナーの甥っ子の初聖体の式があると聞いたので
車で連れて行ってもらうことにした。街中の人がいるのではないかというくらい混んでいた。
初聖体の子供たちはうれしそうだ。
帰りは街を見たくて歩いた。中世から変わってないのか?ぐらいに古い。
街の真ん中へんの広場ですごくにこやかなおじいさんに出会った。君は日本人か?ここには日本人がいるよ、と
手をとって連れて行ってくれた。広場の上にあるアルベルゲのホスピタレーロが日本人だった。

ヒデという五十歳ぐらいの人。カミーノで始めて日本人をみた。一瞬探るような目をしたようだったが
海外での生活が長い人らしい空気を持っていた。亡くなったスペイン人の友達の後を継いでここを
引き受けたらしい。

ヒデのおかげで日本語で的確な情報が入った。
医者はすぐ目の前にあり11時からだと。明日はこちらに移ることにした。

夕食をブリギッテとキャンプ場のレストランで取っていたら雨が降ってきた。
久しぶりの大雨。
洗濯物は誰かが屋根の下に移動しておいてくれてるとは思うけど、窓が開けっ放し!
すぐ止む、私がぬれるはずはないと思っていたがなかなか止まぬ。
キッチンでゴミ袋をもらい穴を開けてかぶって帰ろうとしたらキャンプ場の入り口に
着くか着かないくらいで雨はあっけないほどピタッと止んだ。
すばらしい虹がでた。

『真珠の道』(19)

2009年01月12日 14:52

5月3日
足を何とかしたくてやはりブルゴスに戻ろうと思ったが朝が早すぎて何の連絡も取れない。
ヒッチかなと思ったがやっと一台止まってくれた車は酔っ払っているような若い男たちが乗っていた。
それで吹っ切れた。
迷いを捨て歩いて先に進むことにした。

途中で追い越していったドイツ人が、靴のせいではないか?こんな道だからもっと深い紐の靴がいい。
症状は炎症だから透明なゲルを塗ればすぐ良くなる、と教えてくれた。
選んで選んで誤った靴の選択をしたというわけか。
原因は何ヶ月か前に捻挫したせいではないか、とも思う。
ホンタナスまで11k.ゆっくりゆっくりびっこをひきながら。

あの恋する二人に又出会った。赤く火照った顔(日焼けもあるが)
みっともないほど分別もなくしている時なんだろうね。
人類はこうして絶えることなく・・・・

頭痛と寒気がしてたので宿についてすぐ寝た。いびきをかいて眠り込んだ。
明り取りからの日差しが顔に差し込んで目が覚めた。古い建物の内部が斬新にリフォームされている。
ゆったりとして居心地のいい部屋だ。
お向かいのベッドにはいつの間にやら小さな犬を連れた腕に刺青のある大柄なお姉さんがいた。

この街に薬屋はない、医者はいない、この宿には薬箱もない・・・明日は日曜日だ。

カナリア諸島から来ている若い男の子が封も切ってない新しい薬を私に使え、と貸してくれた。
ホスピタレーラのお姉さんが冷凍したアイスノンを貸してくれた。冷やすといいと。

カフェにクリスティーヌがいた。またビールを飲んでいる。
ポーランドから来た太った若いお兄さんはパンプローナから歩き始め、一日50kmとか歩いて、
足が豆だらけでもう歩けないんだって。
くたばったクリスティーヌ、エリカ、豆のお兄さんと私で明日はタクシーを頼むことにした。

目の前をマラソン選手のような人が駆け抜け、報道の車がついていった。
カミーノを何日かで駆け抜けるという試みで何かのチャリティーでもある、とかいう話だった。

昔の巡礼が歩いたように歩きたいからと、そのような衣装やら何やら一年間準備してきたという
ドイツの女の子がいた。真っ赤なフリースのマントだ。天使のついた杖とかちょっとやりすぎみたい。
彼女はヴェジタリアンだから肉の入ってないサンドイッチが欲しい、と言ってるのだけど
スペイン語が分からなくてカフェのカウンターで困っていた。
ノブヨさんその位はごまかして言えるのでお助け。トルティーヤのボッカディーリョで私も腹ごしらえ。

『真珠の道』(18)

2009年01月10日 08:44

5月1日

こんなによく眠れたのは初めてかも。
すごく元気でもったいないくらいだけど、
ここからはバスに乗る、と決心をしたのだ。
足の痛みはもう限界だし、ブルゴスの近くは工業地帯らしいので。

アルベルゲの親父に教えてもらって1時間も歩いてバス停のあるところに着いた。
しかしいくら待ってもバスは影すらみせない。
お向かいの村の店が開いた。
聞きにいったらいとも簡単に「今日は5月1日、休日だからバスは走らない」だって。

結局村から出てきた一台の車をヒッチハイクした。
なんとカリスマ派のおばさんだった。
車の運転は大丈夫かと心配になるほど熱っぽく神を語ってくれた。
「神はあなたの内にいる」と。

ブルゴスのカテドラルではちょうど結婚式のミサが行われようとしていた。
参加させてもらった。

薬局も医者も今日はだめ。
街の中にアルベルゲがあるはずなのに見つからず、
ホテルを探しても休日で満杯。
街は大きく美しく観光客でいっぱい。
川沿いの公園を郊外のアルベルゲまで痛い足を引きずって歩いた。

外から見ると兵舎のよう、中に入ると牢獄のような大きなアルベルゲ。
ぎゅうぎゅうずめ。トイレは扉がなくビニールのカーテン。
庭はゆったりとしているし天気はいい。
韓国の女の子とレストランでの食事から帰ってきたら庭のテーブルで
韓国人の御婦人が一人で食事をしていた。同じ世代。ドイツに何十年と住んでいるそうだ、
彼女と二人で散々言いたい放題で発散した。



5月2日

先へ行くことにした。足は痛むがこの街に留まる気にならなかった。
強い日差しの中を足を引きずりながらやっとたどり着いたホルニロス・デル・カミーノ。
村の真ん中、教会のすぐ前の小ぶりの石の建物。ぎりぎり最後のベッド。
体格の良いホスピタレーロ(巡礼宿の世話人)が私のリュックを部屋まで運んでくれた。
昨日ブルゴスでおしゃべりした韓国人がご飯を炊いたのを分けてくれた。
この旅ではじめてのご飯だ。おかず無しだが『ご馳走』としていただいた。

キッチンでハンガリーの恋する男と恋されているドイツの女とドイツに住んでいる昔恋した韓国人と
大昔恋をした日本人の4人で、なぜカミーノを歩くかから始まりさまざまな話をがんがんやった。
社会問題から歴史問題からやはり戦争の話も出て『お前の国はこんなこともやったではないか」
で緊張した。
いい訳めいたことを言ってしまってからしまったと思った。
未来に向けて平和を望むから話すのだ、お互いのしこりを解くために話すのだと思う。
こんどこのような場に出会ったら個人として謝りたいと思う。

昨日も狭いベッドコーナーで一緒だったデンマーク人のおばあちゃん、私の下のベッド。
三度目のカミーノだって。今回はもう歳だからレオンまでにしておくって。
お向かいのベッドの67歳のアメリカ人、両親がメキシコからアメリカへ移住したという、も三度目だって。
二人とも何度やってもカミーノは素晴らしいって。
夜二人で長いこと静かにおしゃべりをしていた。二人の穏やかさが聞いていて心地よかった。


昼間井戸のある休憩所で一緒になったカタルーニャ人のグループの女の人、
具合が悪くなりタクシーで病院へ行った。もう歩けないのだ。
こないだのクリスティーヌもこの村の入り口でもう歩けなくなったと。

『真珠の道』(17)

2008年12月30日 00:04

4月30日

寒い山道。オルテガのカフェで一休み。セーターを引っ張り出して着る。
ニュージーランドから来ているという女の人とおしゃべりする。
彼女はファッションもかなり個性的、手仕事が好きなんだろう。
この後スイスの友達のところへ寄り最後はスコットランドのお母さんを訪ねる、
と言っていた。やはり遠路はるばる来るんだもの、会える人には会っておかねば、
という気持ちは同じね。歳もおなじぐらいみたい。

足が痛むので13km歩いてアヘスというところでもう今日は止める。

疲れも溜まる頃なのだろうか。
反対にすっかり場なれして気分はどんどん楽になっている。
気を張らなくなっているから身体がやっと悲鳴をあげているのだろうか。

沢山の人たちにいろいろ故障が出始めているようだ。

足首の痛みの原因がわからない。靴のせい?
出かける前に散々試して選んだ挙句のものなのに。

アヘスの村の中、おしゃれなカフェがあったので入ってみる。
スペイン語とドイツ語のぺらぺらなおじさんがやっている。

スペイン人かドイツ人か分からなかったので「お国は?」と聞いたら
「そのような直接的な質問はするな、ご挨拶代わりや好奇心で聞いても
2分後には忘れているのだから」との返事。

「私は忘れません。好奇心はきっかけではないの?」と食い下がる私。
「いや単なる好奇心はマイナスだ。興味ならいい。
あなたはどこの国の人とは聞くけど、あなたはだあれ?とは誰も聞かない。

誰だって一番関心を持っているのは自分のことなのさ。

35年間カミーノを歩き、ここで店をやってきた。何千キロとフランスやドイツから
沢山の人と歩いてきた、沢山の人と出合った。しかし誰一人として記憶に残らぬ。
本当に知りたい人のことは時間をかけて知るべきだ。
行きずりの好奇心に答える気はない。

一日中おしゃべりをしている人たちがいるけど何を話しているか知ってるか?
人は話をするより聞くことを学んだほうがいい。
ダイレクトにものを聞くものではない。

「少しずるく聞けばいいのかしら」
「いや、たくさんずるくだ。日本にはそういう哲学があるだろう?」
「・・・う、うん、あるよ。ヨーロッパの哲学とは違うのが。
でも今それらはお互いに近づいて 重層的になり
理解を深められる時代を迎えていると思うんだけど」
「うん、そう思う。そして今はカミーノの時代だよ・・・」

分かれ際に「忘れるな」だって。

ノブヨはだあれ?
答えられるだろうか。

ノブヨは今かなり積極的に「個」であると感じる。
それにこのカミーノでは何処の国の人でも、どんな人でも、お互い巡礼者として
出会うときはまったく何の仮面もいらない!
これ すごい発見!

カミーノでは 皆同じ方向を向いて歩いている。
自分のペースで、自分の限界まで ただ歩いているだけ。

カミーノのもう半分はアルベルゲの生活なのだ。
二段ベッドの、男女混合の、いろんな文化ごちゃごちゃサラダの、
キャンプ生活さながらの不便さを、しかも毎日違うところで違う人たちと共にする。

見知らぬ者同士でも巡礼者であることは一目で分かるし
もう既に仲間としての意識ができているようだ。

『真珠の道』(16)

2008年12月27日 21:48

4月29日

寒気がする、風邪かも。右足首が痛い。びっこをひく。
こないだ足の豆で痛そうだったドイツの男の子が、元気いっぱい輝く笑顔で
「少ししか歩かないと言ってたのに大丈夫?」と声をかけてくれた。ありがとうね。
君の足良くなったのね、今度は私の足よ。

初めて会うフランス人の男の人が心配そうに駆け寄り「サヴァ?」と握手までしてくれる。
サヴァ(元気)じゃないけどしようがないものね、ありがとう。

黒ずくめのスペインの若い男の子は昨日も私を抜かして行ったよね、二度目に会うと
もう昔からの知り合いみたいに思える。笑顔がきれい。
公園での休憩の時におやつを分けてくれた。彼は猫にも分けていた。

優しい男達の励ましで今日のようなつらい日がこんなに明るく幸せに満ちるとは。
ああ私も女の子なんだ!

12km、ヴィラフランカ・モンテス・デ・オカ
何もない街道筋の村。歩くコースは山から来て山へ入る。
大きな建物で普通のベッドがゆったりと並んでいる。休暇気分になる。
風が強いが良い天気。
大洗濯と昼寝。風に飛ばされパンティー2枚が行方不明。
洗濯ばさみ一個で二つをとめたからだ。
塀の向こうの草葉の陰でやっと見つけた。

村を歩いてバール(飲食店)一軒が見つかった。その片隅で缶詰めとオレンジと卵が買えた。
10分待ってパンも買えた。

『真珠の道』(15)

2008年12月26日 21:59

4月28日

前のほうに犬を連れた若い女の子が一人で歩いていた。
何かを落とした。声が届かないのでそこに着いた時に拾って(赤い毛糸のぼんぼん)
後を追った。しばらくして気がついたらしく立ち止まって後ろを振り向いた。

やっとスポーツウエアでない人に会えた。幅広のぴらぴらズボンで真っ赤なスパッツをみせ
カラフルな麦藁帽子とざっくりしたカーデガン。金髪をなびかせて。
自分のファッションが楽しそう。ほとんどの人はスリーパーツに別れるズボンでスポーツウエア
そのもの。

彼女はスイス人だった。それもチューリッヒの出だったので話は弾んだ。
昔チューリッヒに6年程住んだことがある。我が青春。
タマラ、という名は珍しい。お母さんはユーゴスラビアの人だと。犬はリュネ。
フランスのトゥールーズからもう一ヶ月以上も歩いていると言う。フランス国内は
道の経験者の彼氏が一緒に歩いてくれたけど今は犬と二人、犬は日差しに弱いので
曇りの日に余計に歩く。
赤いボンボンは友達からのプレゼントで大切なもの。その友は私が昔住んでいた町の住人だ。
私がこの旅の最後に訪れようと思っているウルスラの村の近くに、
彼女のお父さんは別荘を持っているとか。チューリッヒに近いスイスアルプスだ。

ピレネーは今まで大変な嵐の体験談しか聞いてなかったけど、一日違いの私の良い話が聴けて
うれしいという。
今日は歩きすぎたかなと思っていたが彼女にあえたのでよかったと感じていたら、
彼女も今日はあなたに会えてよかった、と言ってくれた。

クワトロフォルクという宿は四どころか五ヶ国語をほとんどパーフェクトに話す親父が
やっていた。
韓国のチョンミンさんとリーさんとソン君も同じ宿。
ソン君はまだ良い靴が見つからない。
チョンミンさんとリーさんはヨーロッパは初めて。ビデがなんだか分からないというので
説明してあげた。テレビ局と製薬会社で働いている。彼らと同じテーブルについたが、
韓国の食事文化は強いと感じた。
食事はかなり美味しくて楽しかった。材料は変わらないのだけれど作り方なのか。

南アフリカのデイビッド君が隣のベッドで大きな身体をもてあましていた。礼儀正しい若者。

ロレーヌとその彼に街の中で出合った。寒いのでセーターを買ってきたところだった。
真っ赤なきれいな色。ともかく寒い。スペインの4月とは思えない。

ベロラードの教会での夜のミサはジージャンを着ていた神父さんだった。
ミサの後に巡礼者を集めてなんだか内容はよく分からなかったが熱っぽく話してくれた。
こんな風に集い共に祈ることは初めてだった。

『真珠の道』(14)

2008年12月24日 11:37

4月27日

ほとんど薄暗いうちに歩き出す。
街は宴の後の掃除の最中だった。消防ホースの水でごみを一気に流していた。
街を抜けると山道になった。

いつも歩き出してからまもなく日の出となる。
地平線の向こうから、山のあなたから、雲の合間から太陽が昇る。

草の上にリュックを下ろして太陽に向かって真っ直ぐに立つ。
深呼吸をし手足を思いっきり伸ばし、丸い太陽をを見つめる。
光を浴びエネルギーを頂き満たされて一日をスタートする。

ヨハンが追い越していく時、ノブヨの帽子とズボンは目立つよと
おしゃべりを始める。
ズボンはインドネシアのイカットを友人が縫ってくれたもの、
帽子はパリ製のソンブレロ。
さっさと追い越していかないので「先に行ってもいいのよ」と言ったら
「今はねノブヨの傍で休みたいんだよ」とのたまわった。東洋の安らぎ?!

サント・ドミンゴまで21km。
街に入ったところで若い大きな男の子が足を引きずりながらつらそうに歩いていた。
34kmも歩いてきて足の豆が痛いのだと。
日差しの強い人気のない石の街を二人でゆっくりアルベルゲを探しながらいった。

遅かったのでぎりぎり二つベッドが空いていた。
屋根裏部屋で広々として二段ではないのがうれしかった。
韓国人の女の子二人の隣になれてお互い喜んだ。
すぐ後に到着したイタリア人たちはベッドがもうなくて後5k歩きなさい、
と言われていた。
彼らとはお昼にレストランで出会ったよね。
ここいらあたりで人生を変えようと思ってきた、と言っていたお兄さん、
ワインなんか飲んでゆっくりしていたからベッドにありつけなくなったのだ。
結局はこの街の中のペンシオンを探したらしいが。

ロレーヌと又一緒になった。足がつらいらしいのでヨガで習った足運動を教えてあげた。
マッサージボールも貸してあげた。
電子辞書にオプションでフランス語を入れておいてよかった。

ソン君とドイツ人の若いのとレストランに食事に行った。
巡礼メニュ-はだいたい8か9ユーロ。
アルベルゲの宿泊料が5から7ユーロ、ドネイションだったり2とか3ユーロという
安いのもあったから食事がちょっと高いと感じてしまう。
スープかサラダかパスタが一皿目でメインは肉か魚料理にいつもフライドポテト。
デザートは果物かヨーグルトかプリン。ワインのボトルか水のボトル。
お腹がすいているのでありがたいのだが
たまに美味しい食事にありつくとうれしい。

スペイン人の十人ぐらいの団体がいた。じい様ばかりですごく騒がしい。
食べる時も、遊ぶ時も、歩く時も、常に騒がしい。
騒がしいことで有名らしい。

『真珠の道』(13)

2008年12月19日 01:14

4月26日

16.5kmでナへラまで。
一日の大半は自然の中や畑の中を歩いているのだけれど、まったく人と出会わない時がある。
ただひたすら下を向いて一足一足に気を配っている。聞こえるのはカッコーの声だけ。

この道は生活道路と隔離されているようだ。出会うのはほとんど巡礼者のみ。守られている道。
町に入っても人気のないのが不思議。日差しが強いとカミユを思い出す。

橋をわたり古い町の中心部に入る。水の美しい河畔はゆったりとし
大きな木に風がそよぎカフェのパラソルも映画のシーンかと思えるほど瀟洒。
ここには人がいた。今日は町の祭りらしい。子供たちが色とりどりのピエロのような
コスチュームを着ている。

公の宿は3時まで待たねばならなかったので、町の中の小さな宿にしたがこれは失敗だった。
ドアを開けてすぐの場にベッドが四つ。トイレもシャワーも一つきり、隣の部屋にあるだけ。
おまけにあのヨハンが今度は私の下の段。

河べりのカフェに行ってトルティーヤとカフェコンレチェ。
パラソルの下でボーっとしてたら、向こうからきれいな女の子が来る、と思ったのが
ソン君だった。もう少し先に行こうと思ったがここがきれいなのでここにする、といってた。
靴はまだみつからないらしい。

あまり長く座ってもいられないしお日様のせいでくったりしたので河のほとりの草むらで
休む。河の中洲に水草がゆれ流れは速い。向こう岸にはキャラバンやテントが見える。
草のにおいをかぎながら横になる。アリが私の上をあるいている。

散歩をした。扉が開いていたので入ってみたら修道院だった。中で隣の教会につながっていた。
中庭のある回廊は写真でみた覚えがある。
教会の奥のほうに墓があり一番奥にマリア像が飾ってあった。
寺もそうだが教会も死と隣り合わせの場なのだ。
掃除をしていた赤シャツとジーパンのお兄さんにミサの時間を聞いた。8時だ。
入る入り口も教えてくれた

夕食は宿のオーナーのレストランで同部屋の仲間ととる。
エリカ、クリスティーヌの二人連れは”私たちは優雅な巡礼をする、無理をしない”と盛んに言う。
持ってきた荷物が重すぎたので、パンプローナでリュックを買い換えて、いらない物を自宅に送ったと。
私は幸せな人生を送っているから、と強調もする。
ヨハンは皆を一応しゃべらせてから自分で話し出したが、止まらない。
今日一日何をした、どこに行った、グローバル化した地球の話までえんえんと続く。
やっと終わりにして、私はミサに行く。

祭りは昼間だけでなく夜が本番だった。
夜中の3時まで近くの広場で特大のアンプ6個と花火の打ち上げが続いた。
花火の振動と、壊れた機械のような音楽の大音響とヨハンのいびきとで絶望的という夜中に
クリスティーヌは笑い出していた。

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『真珠の道』(12)

2008年12月19日 01:13

4月25日

寝苦しい夜だった。ベッドの真ん中の段の人が夜中近くに帰ってきて
私の足元ではなく頭の傍で頭にランプをつけてパンツひとつになり、
のろのろがさがさ寝仕度をしていらだたしかった。ベッドも彼の寝返りで
ひどくきしんだ。

たぶんその人だと思うが朝になってログローニョの街に入る前の休憩所で出会った。
ヨハンという名だそうだ。おしゃべり好きだ。

ログローニョで泊まるつもりだったが、早すぎたのでナヴァレッティまで来た。
21.5km。
見かけた虫はカタツムリ、アリ、カメムシ,ダンゴ虫、ちょうちょ。
暑さと肩の重さがつらい。リュックの下を手で支えてこらえた。
手の甲が真っ黒に日焼けしている。

食堂で書き物をしていると、いろんな人が、やー、と声をかけてくれる。
「ドイツ語を話す日本人ってあなたなのね」と隣のベッドの婦人。
我々の部屋にシャワールームが付いているので他の人の出入りが多い。
入り口近くのベッドだったので大きな薄手のショールでカーテンとした。
しかし昨日の宿よりは落ち着く。

ソン君が又同じ宿、
バスク人の彼もカフェでビールを美味しそうに飲んでいた。

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