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ばおばぶオーナーの巡礼記『真珠の道』

2008年11月13日 19:43

スペイン、サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの道


スペインでは巡礼路をCAMINO(カミーノ)という。
こんにちは、さようなら、という代わりにそこではブエノカミーノ、ボンカミーノと
挨拶する。
2008年4月15日から6月5日まで私はカミーノを歩き、世界中から歩きに来ている人達
とその挨拶を交わしていた。

途中バスやタクシーを使ったこともあったけど、フランス側の出発地、サン・ジャン・
ピエ・ド・ポからサンティアゴまで歩き通した人は15%程だという。これに入った!
全行程を完全に歩く人は2,3%だと聞く。

出かける前に読んだパウロ・コレーリョやシャリー・マックレーンの本は刺激的だったし、
フランス映画「サン・ジャックへの道」を見たときはその道が私を呼んでいる、
としか思えなかった。

しかし一番最初はなんだったんだろう。
本を読んだりする前にこの道のことを考え出したきっかけが思い出せない。

歩いた記録をまとめてみた。
まったくの手作りで友人達の助けを借りて百部程の本にしてみたけど、
糊貼りの作業を見ていたら、とても大変そうでもうこれ以上は出来ないと感じた。
少し書き加えたいことも出てきたので、ここブログで再版ということにした。

巡礼を終え、本らしきものを書いてみて、今新たに次の入り口が見えてきたような
気がする。
加筆をしながら巡礼で顕わになった己を見直してみたいと思っている。
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『真珠の道』(1)

2008年11月13日 19:46

巡礼路を歩く

スペイン西部にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう800kmの
巡礼路を歩いてきた。
ピレーネ山脈のフランス側から歩き始め,52日かかった。遅いほうだ。

9世紀に始まったというこの巡礼路は レコンキスタ(国土再征服運動)といわれている
対イスラムへの戦いと連動して成立したらしい。

千年以上もの間歩かれてきている。
”美しい道”らしい。

真珠貝は異物を核にして真珠層を巻いていくという。
7世紀に出来た聖ヤコブ伝説やレコンキスタがきっかけであったかもしれないが、
人々が歩き続けることにより、何かが変換しているのではないだろうか。
この道で起こる錬金術がある、道自体にも、歩く人にも、という言葉をみつけた。
わくわくしてきた。

歩くということは人が人として在り始めた時から基本的な動きであると思う。
この道を歩くことによって、きっと何かが起こるに違いない。

二十一世紀に入りここ数年で爆発的に増えたらしい”その道を歩く人々”
世界遺産にもなったとか。
日本で手に入る情報はとても少ないまま、
私も歩きたい、どうしても歩きたい、と熱い思いに駆られて出かけていった。

『真珠の道』(2)

2008年11月17日 11:08

4月9日
 成田を発つ。

4月9日 - 4月14日
 ロンドンでヘレンとマークが迎えに来てくれた。
 11年ぶりだ。
 ニコという二歳の男の子がいた。 この子に会いたくてロンドンへちょっと寄り道。
 車はモーリスではなくてジャガーだった。
 ロンドンの街外れの小さな前庭のある共同住宅。
 廊下の壁の色のグリーンで迷っている。バスルームは使えるけど未完成。
 アジア系のインテリアで日本で買い集めたものも目立つ。
 キッチンの窓から見えるのは裏の学校。

 明るい太陽とニコの泣き声で目が覚める。
 居間の奥に据えられた暗赤色のベッドコーナー。
 彼らが仕事に行っている間、パソコンで『道』の情報を取り出して眺めた。
 写真と歩いた人々の感想とで一気に『道」が身近になってきた。

 買い物もいくつかあるのでヘレンと中心街に出る。
 チョッキがいいのがあって助かった。重さが分散できる。
 リュックを軽くするために必要最小限度の物を持ったつもりだったが点検をしてみると
 まだ省ける。スイスのウルスラのところにそれらを送った。
 最後は彼女のところで休暇をとる予定なので。
 靴はやはり望む物はなかったので履いてきたメレルでよしとする。
 マッサージボールもやっと手に入れたが、思っていた物とちょっと違う。
 
 ロンドンの街の中の大きな木がうれしい。
 そこに生きている年寄りのよう。
 ジャガーの心地よさに沈み週末はチェスターフィールドのヘレンのご両親を訪ねた。
 高速道路に乗るともう緑の世界。
 身長の高い優しいご両親に暖かく迎えられゆったりと過ごさせて頂いた。
 メリースチュワートが幽閉された城を見に行った。

『真珠の道』(3)

2008年11月26日 19:43

4月14日

彼らの都合で出発日が決まった。
ヨーロッパに着いたら地面の上を行く事にしていたので汽車を使う。
彼らに助けてもらって予約をすます。寝台車、一等。

ロンドン駅での別れ際に涙が出てしまった。
巡礼途上での行き倒れもいいかもと思ったこともあり、これで永の別れかと!
背の高いヘレンとマークにしっかりハグしてもらって出発。

ロンドン、パリ間は最新の滑らかな海底特急。
片言のフランス語使いたくてうずうず。地下鉄を乗り換えオウステルリッツ駅よりの夜行列車。
出発までの3時間を駅のカフェで出発予定の電光板を気にしつつ行きかう人々を眺めていた。
服装にしろ漂わせている空気にしろ日本とほとんど変わりないと感じる。
初めてヨーロッパに来た40年前に感じた文化の差異がもうない。

巡礼に行くような夫婦が一組現れた。
やわらかい感じのフランスの男たち三人とのコンパートメントで出発。

『真珠の道』(4)

2008年12月01日 12:17

4月15日

巡礼の出発地、サン・ジャン・ピエ・ド・ポオ駅に着く。
何の案内もなく静かな住宅街。
汽車を降りた巡礼者たちと共に古い街の中心のほうへ向かい巡礼事務所を探した。
路に面してない奥の建物だった。
登録をして巡礼パスポートと資料をいただく。
街の狭い通りにはこじんまりとお土産やが何軒かあった。
下にきれいな水がとうとうと流れている橋を渡りいよいよ道が始まる。

乗換駅で英語もフランス語も分からなくて困っていたデュッセルドルフからの老夫婦(パリでみかけた)
といっしょに歩き始める。
来る前にあちこちたくさん歩いてトレーニングをしてきたらしい。
農業なので今は暇な時期とか。サンダル履きだ。

8km先のオリソン巡礼宿まできつい登り。
休憩でデュッセルドルフ製の菓子パンの甘さが元気をくれた。
もうこの道にそんな宿はないのではないか、と絶望がよぎった頃、角を曲がったら山小屋が見えた。

フランス側の山並みがパノラマのように拡がる宿のテラスで
カナダのケベックから来たというマリーとリリーと仲良しになる。
彼らの友人に私に似た感じの人がいるらしい。少し年下で”山椒は小粒・・・”の感じ。

なんと穏やかな日差し、なんと静かな時間だ。
空気がシーンといっている。
スイスでの昔の生活、わが青春を思い出す。

あれがあったからこうなった、というより、
そのようにしか選択できなかった私がいたということか。
やはり私はこの人生を演じてくるしかなかったのだろうか?

「カフェギャラリーばおばぶ」(私のカフェ)宛てに絵葉書を書き始める。
連絡方法として唯一これだけ。
携帯とかいうものは持ったことがないので今回も無し。
息子の勧めでホットメールとかの登録はしておいた。

大家族のように20人ぐらいの巡礼者達で大テーブルを囲み夕食。
誕生日のフランス人がいてお祝い気分。
ワインのボトルがメニューについている(この後どこでもワイン付きだったが私は水しか飲まない)
私は「本当の」日本人ではない、というようなことを言ってしまって皆を楽しませ私も笑い転げた。
「典型的な」といえばよかったのだが、気分的には私は「違うの」と言いたいのだ。
早速言語のミックスサラダを味わう。

六人部屋、二段ベッド、男女混合にはちょっとびっくり。
マリーたち二人、ドイツ人の背の高い元気なおじさん二人、スイスの太ったおばあさん、と私。
夜中にすごい音で目が覚めた。いびきだった。朝まで変化球で続いた。


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