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『真珠の道』(11)

2008年12月17日 11:37

4月24日

山のあなたから朝日が昇る。歩きだそうと振り向いた西の空に月が淡く見えた。
春の野にかかる太陽と月。

ヴィアナまで11km。今日はこれでよし。
オーラに又出会った。今日はホテルにする、と言っていた。
少々疲れているようだ。
アルベルゲの生活は改めて考えてみればかなりきつい。
しかし長い道中、贅沢は出来ない事もあるし、この共同生活も巡礼の一部だと受け取っている。

バスク人、カナダ人、韓国人達とアルベルゲの開くまで扉の前で待っていた。
お向かいの遺跡の天辺にコウノトリが巣を作っていた。

フランスパンの大きいままのサンドイッチをボッカディーリョという。
でか口、と言う意味らしい。
これがシンプルだけどすごく美味い。ケソ(チーズ)かチョリソーか生ハムと新鮮なパン。
バターもサラダもなし(長持ちする)
グワッと味わえる。私の発明でオイルサルディーンも美味い。
朝歩き出してから、見つけたところで焼きたてのパンを手に入れ、チーズ、オレンジ、りんご、
パプリカ、水と確保できればその日一日は夕方まで生き延びられる。
巡礼に出る前私は"ばおばぶ"のおにぎりが大好物で、スペインに行ったらどうしたらいいんだろう、
と心配してたのだがパンがこんなに美味しくて幸せだ。

この街にはスーパーマーケットがあるではないか。他の店もある。絵葉書や切手も買える!
すごい。切手はタバコ屋さんにあるらしく通りかかったおじさんのグループが私を店まで
案内してくれた。我々の行列をロレーヌが上の道から眺めて笑っていた。

かなり病気が進んでいるのだろうか? ロレーヌはケベックの人で透き通るような白い笑顔が
優しくて美しい。旦那も見るからにいい男で、彼は歩きで彼女はバスで移動し宿で待ち合わせる、
という巡礼をしている。

ここのベッドは三段だ。
食堂は大きい、キッチンも大きい、昔修道院の病院だったようだ。

食堂で韓国人の若いソン君と話す。英語の発音でお互いドイツ語が話せると分かり
楽なほうにした。ドイツの大学に通っている。端正な美形。靴があわないらしい。
彼は私が歩いた翌日ピレネーを越えて嵐にあったらしい。雪と雨とあられと強風で
四人の怪我人(強風で飛ばされ骨折)が出て道は封鎖となったそうだ。
リュックの中身はもちろん身体の芯までずぶぬれ。寝袋もぬれていて夜は冷たくて眠れず
もう死ぬかと思ったと、何日か後にサングラスのケースから水がこぼれたと。

たった一日の差で・・・・!!!

大きな町の教会ではミサが毎日夕方に行われているらしい。今日のミサはお葬式だった。
黒い服装がほとんどなくて、家族だと思われる人のショッキングピンクの上着には驚いた。
教会内の装飾が豪奢で金ぴかだが、大空間なのでそれなりに美しい。祭壇後ろの真ん中に
マグダラのマリア像があり、キリストの十字架像が左側に飾ってあったのもちょっと楽しい。
スペイン人は像が好きらしい。たくさんある。

カトリック教会は世界中どこでもまったく同じようにミサが立てられている。
どこででも安心して参列できるのだ。異邦人がいようがいまいが誰も何も言わぬ。
世界で一番大きな企業のような感じがしてきた。

『真珠の道』(10)

2008年12月15日 09:51

4月23日

街の中を歩く時に、 普通に生活をしている人々、労働をしている人々に出会う。
歩いている我々がのんきに見えるのだろうな、と感じるようになった。
最初は巡礼者である自分を特別視して欲しいような甘えがあったし、
沢山のスペイン人が我々巡礼者を大切にしてくれてるのがうれしくて、それを当たり前のように思っていた。

日常生活というのは同じようにカミーノである、と思う。
つらい歩みを続け、休み、また歩き、何が待っているか分からないままに
最終地点まで歩き続けるのは日常生活もカミーノも変わらない。

ロス・アルコスの教会前の広場で又皆に会う。
フランス語の三人組、ミュンヘンからの夫婦、オーストリーのイリス、二人の気楽娘、
ウルムからの若者たち。ベンチで休んでいる。

街から出ると嘘だろうというくらい美しい景色の中にいた。春の野と山。
黄色い花の潅木は何だろう、ピンクはエリカようだけど・・・まさに花盛り。

20kmでトレス・デ・リオに着いた。
丘の上にある御伽噺に出てくるような村。

小さなほうの巡礼宿を選ぶ。
顔なじみが多いい。

新しいカナダ人が隣のベッドだ。オーラという。
ここは英語を話す人が少ないと彼女は言うが、
英語を母国語としている人たちの多言語に対する怠惰は何か失礼な感じがある。
彼女とテラスに出る。ヨーロッパ人は日光浴をしたがるが、我々は日陰を探した。
歩くのがつらい、ジャンクフードが食べたくなってしまう、
なんだか泣きたくなることが多いの、という。
私はここには泣くために来たのよと返事する。

洗濯をしに下に降りていったら、新顔のドイツの小柄なおじさんが目をまっすぐに見つめながら
「あなたはなぜこのカミーノを歩いているのか?」と単純に聞いてきた。
アジア人なのに不思議だと思えるらしい。
アジア人も君たちと同じような心と思考過程を持っているということを納得してもらった。
舗装道路のほうが歩きやすいからと、本来のカミーノではなく車道を歩いているらしい。

こんな田舎なのに、横長の美しい写真の絵葉書が売られていた。
カメラは重たい?!ので持たずに来たから絵葉書を買っておく。

postcard0423.jpg

『真珠の道』(9)

2008年12月15日 09:51

4月22日

6時間歩いた。
途中エステ-リャには郵便局が会ったので寄る。何処にもあるわけではなく
大き目の街だけで。時間もほとんど昼休みまで。

イラッシュのフエンテ・デ・ヴィノ(ワインの泉)というところではワインが蛇口から
出てきて巡礼者は自由に(?)飲ませてもらえる。
ドイツのウルムからずっと歩いてきたという二人の若者が既に出来上がっていた。
こないだの韓国の女の子も一緒にいて少し酔っていた。
誘われたがあいにく元アル中の私は禁酒をして17年もたつ。

wine.jpg
「ワインの泉の蛇口、飲み放題です」


ヴィラ・マヨール・デ・モンジャルダンは古いお城のような建物を改造した巡礼宿だった。
オランダの教会のボランティアが運営している。外からの見栄えはよいし景色も最高、しかし
中は窮屈。洗面所には必要なものがひとつづつしかなくて、40人からの男女が一緒では
何もする気にはなれぬ。
シャワーや洗面は一日ぐらいしなくったってかまわないが、絶対的にせねばならぬことはあるのだ。
じっと行列を耐え忍ぶ。
食事はアジア風カレーでOK。
ヴォランティアの方々の善意が鼻についてしまうという私はいやな奴なんだろうか。

イレーヌがレインウエアのズボンの一部をはさみで切っている。
風通しを良くしたいとか。厚地なのではいていると汗びっしょりになってしまうらしい。
なんだかんだの荷物でトータル14kgとは!私の倍だ。
水だっていっぺんに2リッターも買うことはないだろうと思うがそんな風に持っていたい人なんだ。

翌朝扉の開け方が誰もわからなくて皆で閉じ込められて玄関の間で待っていた時、
私は管理主義に対していやみを言いすぎてしまった。私のおしゃべりの相手をしてくれた人が
後姿を見せて歩き出した時、彼とはもう二度と会えないのだと気がついたとたん、
いやみを言っていた自分をひどく恥じた。

『真珠の道』(8)

2008年12月11日 17:21

4月21日

プエンテ・ラ・レイナの街の入り口に大きな駐車場つきの今風のホテルが建っていて
山から出てきて違和感を覚えたが、一歩街にはいれば旧い街並みで石畳の道。
カフェで朝のカフェコンレチェ(ミルクコーヒー)を飲みながら北ドイツから来ていた
女画家と話す。すらりとした人。ローマになぜか郷愁を感じているようだ。
街から出ると美しい王妃の橋だ。
ここから三つの巡礼路が一本に合わさり「カミーノ・デ・フランセ」となる。
道が世界遺産となっている。

bridge.jpg
「女王の橋,巡礼路フランスの道の合流点」

野の道に帆立貝が落ちていた。小さめのかわいいもの。こないだ買った私のは大きすぎて
赤い十字架が付いていてキッチュで好きでなかった。
このかわいいのは夕べのいびきのおじさんのリュックについていたのとよく似ている。
ちょっと先の村で買い物をしている彼に追いついた。やはり彼のだ。
「取り替えてくれるか」と聞いたら快くOKしてくれた。うれしい。言ってみるもんだ。

「俺はいびきがひどいから」と皆に触れ回っていたオーストリア人なんだけど、静かな夜だった。
玄関の隣の小部屋がいびきをかく人を隔離する部屋らしい。
ホアンに連れて行かれたらしい。

黄色いペンキを持って道しるべをきれいに書き直しながら歩いている小柄なおじいさんがいた。
道標とは別にちょっとした石とか壁とかあちこちに黄色い矢印が書かれている。サンティアゴを指して。
これが私たち巡礼者の頼りの綱なのだ。手を合わせて感謝した。

風で帽子を飛ばされないようにとか、足元を確かめるためとかで下ばかり見て歩いていた。
ふっと目を上げたらそこにメープルの薄ピンクの花が咲いていた。
見渡せば美しい春の野だ。

ロルカは小さな村。今日は13km。
アメリカ人の女の子とスペイン人の彼氏がオーナーの宿。
パソコンは無料で使わせてくれた。若者の気楽さと親切が我が家にいるような気分にしてくれた。

エリカと又一緒になる。6人部屋で二人だけ。うれしい。
  エリカの格言  *ほえる犬はかまない
           *重荷はリュックの中ではなく肩の上
           *笑いに通訳はいらない

フランス語を共通の言語としている熟年の3人グループがいた。
こちらに来てから知り合い一緒に動いているらしい。イギリス、カナダ、フランス人だ。
彼らとエリカと食卓を囲む。年恰好が同じぐらいで話題は何でもありみたいで
シルクは日本製かフランス製か、乾燥機にかけられる、否とかで騒いで楽しんだ。

『真珠の道』(7)

2008年12月08日 10:12

4月19日

パンプローナはすぐそこだった。
大きな町なので何でもあるかと期待したが、歩いている範囲では見つからない。
本屋があったので「道」の案内書を探す。皆が持っている各国語の小型版があるかと思ったら
スペイン語の大判しかない。迷ったが買う。
本屋の窓の外を巡礼者が通り過ぎてゆく。
あのいびきのおばあさんがノルディックを2本使い普通のピッチでしかしつらそうに私の目と鼻の先に
現れ通り過ぎていった。笑い話のネタに散々使ってきたことが申し訳ないと感じた。

既になくしたもの:マッサージボール1個、ボールペン1本、タオル1本、簡易雨具(破れた)

婦人警官がいたので雨具を買いたいのだが、と聞いたらその辺にいたおじさんに案内を頼んでくれた。
スポーツ店ではなく中国人の経営する雑貨やに連れて行ってくれた。本格的なポンチョが欲しいのだが。

初めて銀行に寄り外のオートマティックでユーロを下ろす。一回ではすまなかった。

今日の予定のシズール・メノールまで9km。
小さな町。通行人にアルベルゲを聞いたら目の前だった。
玄関の間で待たされたが、中世の世界にいるようだった。壁も家具も扉もどっしりとしている。
大きな木のある庭を回り宿舎に入る。
別棟のキッチンで韓国の女の子に会う。初めて東洋人の巡礼者と同宿だ。
パソコンがあったのでメールを送ろうと思ったが、分からなくてそばにいたドイツ人に
手伝ってもらった。


4月20日

アルト・デ・ぺルソンまではゆるい登り。またまたぬかるみ、すべる。
バランスを取るため杖が必要だ。靴の裏をきれいに掃除すべきだったと後悔。
風力発電の風車が並んでいる。広々とした景観に良く似合う。
頂上には金属の巡礼者像が風の中ですっくと立っていた。

alt.jpg

下に降りてウテルガという村でレストランに入り、スペイン初のトルティーヤを食べ、
ホットミルクで温まる。友人のジリアンがばおばぶで作ってくれたトルティーヤのほうが
ずっと美味しかった、とちょっと本場ものにがっかり。
杖と巡礼者のシンボル帆立貝と絵葉書を買う。
貝はサン・ジャン・ピエ・ド・ポで見かけたきりここに来るまで売ってる店がなかった。
つまり欲しいものは見つけたらすぐ買うべし、と学んだ。
ここで泊まろうと思ったが、時々会っていたドイツ人の夫婦がコーヒーを飲んでいて、
次まで歩ける時間と距離だと言うので同意する。この人たちは良い案内書を持っていて
いつも私に情報をくれた。

次の街オバノスの宿の世話人、ホアンにボールペンを買いたいのだけれど店はないか、と聞いたら
店らしきものはここにはないらしくて彼のを一本くれた。
外のベンチにいて町の景色になっているかのような人だ。

シャワーのお湯の出がすごく良くてうれしくて日本を出て初めて髪の毛を洗った。
中庭に面した部屋もゆったりとしていてほっとする。
靴の裏をブラシを借りて掃除をし、洗濯物を日向に干して満足感。

明るさと石の街。人気はなく教会前の広場で子供たちがサッカーをしている。
町の中心らしく広々として、芝生の美しい公園のようなものがある。
「去年ここで一休みをしていたらあまりに心地よくてぐっすりと眠ってしまったの、
目が覚めたら観光バスが傍にとまっていて人がたくさんいて恥ずかしかったわ」
と話しかけてきたのはドイツ人のエリカ。私と同い年。後で一緒に食事に行った。
「その後ひざを痛め医者にストップをかけられ帰らなければならなかったの、ドイツの医者も
手術を勧めたけれど、手術をしたくない一心で他の方法を探した。いろいろ試し、結局
もう一度歩くことにしたの」歩けば直ると信じている。
今回は荷物を徹底的に少なくし、旦那も置いてきて軽やかに。今のところ痛みはないと。

南ドイツの田舎で静かに暮らしている。親になって自分の親と同じようなことを、
子供に対してしていると気がついたとき、子供の自分がいやだったことは
もうやめた、と話してくれた。息子さんも軌道修正しながら着実に進んでいるようだ。

『真珠の道』(6)

2008年12月08日 10:11

4月17日

朝、雨。
22kmの山道を抜けた。街道筋の小さな町に出た。ツビルだ。
待っててくれたマリーとリリーと三人で買い物をして夕食を作った。
彼らはヴェジタリアン、私はほとんどヴェジタリアン。
野菜の卵とじのつもりが、トマトも火を通すと私が主張したので野菜が多すぎてしまった。
キッチンにはフランス語、ドイツ語、英語、スペイン語が飛び交っている。
身支度のしゃきっとしたポルトガルのお姉さんがいた。

いびきの彼女が又現れた。二つ部屋があって別のほうだったのでほっとした。
「音楽だと思えばいいじゃない」とフランス人と日本人のハーフだという女の子(彼女は
ロングスカートの裾が泥だらけになろうが普段着のままで来てしまいました、という気楽さ)
が言ったけど「あなた、それは甘い、ハードロックなのよ!」と二晩の被害者は言わざるを得ない
ひげ面のの優しい彼氏は日本語がほんの少しできる。


4月18日

トリニダッド・デ・アレまで19km、また山道だった。
マリーたちはパンプローナまで行く、と言っていたが私は今日はもう歩きたくない。
歩くペースが違うからどこかで彼らとお別れと思っていたが、ここでか。
ポルトガルのお姉さんが「伝えておく」と言って先にいった。

山から下りてすぐの橋のたもとに建つ修道院に宿を取る。玄関から聖堂の中を通って
暗い迷路を抜け美しい中庭に出た。その奥が宿舎だ。
ヴァレンティーノという年取った修道士がニコニコしていて親切だった。
洗濯機でてこずっていたので、「古いんでしょ」というと、「そう、私やあなたのように」
と大笑い。スペイン語を辞書片手にスタートする(半年特訓した)
静かな奥の部屋、8人用なのに私ひとり、ラッキー!
後から来たほかの人たちは他のところに詰め込まれていたみたい。
キッチンがあったので,ひよこ豆、ブロッコリー、オイルサルディーン、卵とパンで
夕ご飯から朝食とお弁当まで作った。
森で拾った杖は玄関の外に置いたため、翌朝外扉が閉まっていて取れなくなった。
朝の出口が裏口だったのだ。
アディオス、我がアミーゴ!

『真珠の道』(5)

2008年12月02日 16:10

4月16日

朝食が7:30。カフェオレをたっぷりと頂く。
出発は8時になってしまった。
最後まで歩き通すことが出来るのだろうか、とかすかに不安があるので、
慎重にゆっくりと登る。皆が追い越してゆく。
中学、高校の時ワンダーフォーゲル部で山登りをしていた感じが体を通して
思い出されてくる。
天気は良く景色は360度見渡す限りなだらかなピレネーの山々。
雪が少し残っている。
冷たい強風が耳元でフランス語のようにヴォワー!と響く。
帽子を飛ばされぬようにぎゅっと押さえる。
身体も風にゆれゆれ飛ばされそう。

やっとくだりが始まったら突然風のない森の中。
フランスとスペインの国境をまたぐ。
落ち葉が敷き詰められたじゅうたんの上のような路、雪解けが沢のように流れる路、
木がたくさんあるのに明るい森の路。水溜りの青空を覗くと吸い込まれそう。
しかしいくら歩いてもいつまでも終わらぬ。いつの間にか心地よさはなくなり、
一足を出すのがつらくなっている。きつい、どうしたらいいの?
一歩一歩行くしかない、進む意外に何の方法もない、
私がこの道を選んだのだから、と分かる。

林の中に入り杖になりそうな枝を拾う。頼むよアミーゴ!
休憩を取って乾いたサンドイッチを食べ水を飲む。昨日のコーヒーについていた
砂糖を取っておいたのをなめたら生き返ったようになった。
食べ物、休憩ってこんなにすごいの!
ロンセスヴァリスまで20km。8時間かかった。

大聖堂のようなでっかい建物、小学校の体育館を横に5つぐらい繋げたような、
天井の高さが三階建て分ほどの大ホールの中に二段ベッドが二、三百並んでいる。
夕べのいびきのおばあさんのベッドが又近かったので、急いで場所を変えてもらった。
2m先と20mでは被害は違う。

くたくたの私をマリーが出迎えてくれた。一緒にレストランに食事に行く。リリーは行かない。
私たちはまったく同じ「ラヴェンダーオイル」を持っていた。
食後のコーヒーで遅くまで話し込んだ。
家族の中の自死者について。人が生きる死ぬはどこでも同じだ。

『真珠の道』(4)

2008年12月01日 12:17

4月15日

巡礼の出発地、サン・ジャン・ピエ・ド・ポオ駅に着く。
何の案内もなく静かな住宅街。
汽車を降りた巡礼者たちと共に古い街の中心のほうへ向かい巡礼事務所を探した。
路に面してない奥の建物だった。
登録をして巡礼パスポートと資料をいただく。
街の狭い通りにはこじんまりとお土産やが何軒かあった。
下にきれいな水がとうとうと流れている橋を渡りいよいよ道が始まる。

乗換駅で英語もフランス語も分からなくて困っていたデュッセルドルフからの老夫婦(パリでみかけた)
といっしょに歩き始める。
来る前にあちこちたくさん歩いてトレーニングをしてきたらしい。
農業なので今は暇な時期とか。サンダル履きだ。

8km先のオリソン巡礼宿まできつい登り。
休憩でデュッセルドルフ製の菓子パンの甘さが元気をくれた。
もうこの道にそんな宿はないのではないか、と絶望がよぎった頃、角を曲がったら山小屋が見えた。

フランス側の山並みがパノラマのように拡がる宿のテラスで
カナダのケベックから来たというマリーとリリーと仲良しになる。
彼らの友人に私に似た感じの人がいるらしい。少し年下で”山椒は小粒・・・”の感じ。

なんと穏やかな日差し、なんと静かな時間だ。
空気がシーンといっている。
スイスでの昔の生活、わが青春を思い出す。

あれがあったからこうなった、というより、
そのようにしか選択できなかった私がいたということか。
やはり私はこの人生を演じてくるしかなかったのだろうか?

「カフェギャラリーばおばぶ」(私のカフェ)宛てに絵葉書を書き始める。
連絡方法として唯一これだけ。
携帯とかいうものは持ったことがないので今回も無し。
息子の勧めでホットメールとかの登録はしておいた。

大家族のように20人ぐらいの巡礼者達で大テーブルを囲み夕食。
誕生日のフランス人がいてお祝い気分。
ワインのボトルがメニューについている(この後どこでもワイン付きだったが私は水しか飲まない)
私は「本当の」日本人ではない、というようなことを言ってしまって皆を楽しませ私も笑い転げた。
「典型的な」といえばよかったのだが、気分的には私は「違うの」と言いたいのだ。
早速言語のミックスサラダを味わう。

六人部屋、二段ベッド、男女混合にはちょっとびっくり。
マリーたち二人、ドイツ人の背の高い元気なおじさん二人、スイスの太ったおばあさん、と私。
夜中にすごい音で目が覚めた。いびきだった。朝まで変化球で続いた。

『真珠の道』(3)

2008年11月26日 19:43

4月14日

彼らの都合で出発日が決まった。
ヨーロッパに着いたら地面の上を行く事にしていたので汽車を使う。
彼らに助けてもらって予約をすます。寝台車、一等。

ロンドン駅での別れ際に涙が出てしまった。
巡礼途上での行き倒れもいいかもと思ったこともあり、これで永の別れかと!
背の高いヘレンとマークにしっかりハグしてもらって出発。

ロンドン、パリ間は最新の滑らかな海底特急。
片言のフランス語使いたくてうずうず。地下鉄を乗り換えオウステルリッツ駅よりの夜行列車。
出発までの3時間を駅のカフェで出発予定の電光板を気にしつつ行きかう人々を眺めていた。
服装にしろ漂わせている空気にしろ日本とほとんど変わりないと感じる。
初めてヨーロッパに来た40年前に感じた文化の差異がもうない。

巡礼に行くような夫婦が一組現れた。
やわらかい感じのフランスの男たち三人とのコンパートメントで出発。

『真珠の道』(2)

2008年11月17日 11:08

4月9日
 成田を発つ。

4月9日 - 4月14日
 ロンドンでヘレンとマークが迎えに来てくれた。
 11年ぶりだ。
 ニコという二歳の男の子がいた。 この子に会いたくてロンドンへちょっと寄り道。
 車はモーリスではなくてジャガーだった。
 ロンドンの街外れの小さな前庭のある共同住宅。
 廊下の壁の色のグリーンで迷っている。バスルームは使えるけど未完成。
 アジア系のインテリアで日本で買い集めたものも目立つ。
 キッチンの窓から見えるのは裏の学校。

 明るい太陽とニコの泣き声で目が覚める。
 居間の奥に据えられた暗赤色のベッドコーナー。
 彼らが仕事に行っている間、パソコンで『道』の情報を取り出して眺めた。
 写真と歩いた人々の感想とで一気に『道」が身近になってきた。

 買い物もいくつかあるのでヘレンと中心街に出る。
 チョッキがいいのがあって助かった。重さが分散できる。
 リュックを軽くするために必要最小限度の物を持ったつもりだったが点検をしてみると
 まだ省ける。スイスのウルスラのところにそれらを送った。
 最後は彼女のところで休暇をとる予定なので。
 靴はやはり望む物はなかったので履いてきたメレルでよしとする。
 マッサージボールもやっと手に入れたが、思っていた物とちょっと違う。
 
 ロンドンの街の中の大きな木がうれしい。
 そこに生きている年寄りのよう。
 ジャガーの心地よさに沈み週末はチェスターフィールドのヘレンのご両親を訪ねた。
 高速道路に乗るともう緑の世界。
 身長の高い優しいご両親に暖かく迎えられゆったりと過ごさせて頂いた。
 メリースチュワートが幽閉された城を見に行った。


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